さわの平凡な日常

普通の主婦の普通の日々をなんとなく。

水がこぼれた

「あっ、水がこぼれた!!」


こう言われたら、アナタはどう思いますか?

「あら、大変!拭かなきゃ!」

「えー?!もう、何してんのよー!」

色々ありますが…友人は


「水は勝手にはこぼれませんからね!」


と、思うらしいです。

あらま、アナタ厳しいわねぇ( ̄▽ ̄;)

最初に聞いた時は率直にそう思いました。しかしよくよく聞いてみるとそれなりの理由がありました。

彼女曰く、ご主人は何かにつけて

・俺のせいではない

・何か(誰か)かのせいだ

というスタンスだそうです。だから言葉のチョイスも自然とそんな方向へ…?


「水がこぼれた」

「お皿が割れた」

「違う商品が届いた」


言い換えれば

「自分が水をこぼした」であり

「自分がお皿を割った」であり

「自分が注文をミスした」という事。


水は勝手にこぼれなければ、お皿は勝手に割れないし、自分の注文が間違っていたからamazonは注文通りの間違った商品を届けただけで、「違う商品が届いた」と言って良いのは自分の注文とは違う商品をamazonが間違って送って来た時だけなんだよ!!


日々この調子だから言われると毎回イラッとするらしく、なかなかな熱量で語ってくれました( ̄▽ ̄;)

そして、そのご主人のお母さんがコレ又同じ言い回しをされるらしく、ソコに気付いた時は

「元凶はここかー!」\\\٩(๑`^´๑)۶////

と、前触れなくキレそうになったそうです。耐えたそうですが。

でも、きっと本人達にはそんなに深い意味は無いんでしょうね。『同義語やん♪』くらいのね。気になるポイントは人それぞれ?


私は主人の言う

「◯◯で良いよ。」この言葉がイラッとします。

「ご飯何食べる?」

「うどんで良いよー。」

これです。

何が?って思う方もいらっしゃるでしょう。でもね、「◯◯で良い」ってすごく"譲ってあげてるんだよ感"ありませんか?

本当は自分は違うのが良いけどアナタに合わせてあげてるんだよ〜

的なね。だから、

「別に譲ってもらわなくても良いんですよ!お互いに意見出し合おう!」

或いは、うどんが食べたいならば

「うどんが良い!」

と、言ってもらった方が気持ちが良いです。


数年前に主人の両親と冬の日本海の温泉に行った時の事、お宿の夕飯のメインが"蟹"か"ステーキ"から選べるスタイルだったのですが、

義母「私、蟹で良いわ。」

主人「俺も、蟹で良いわ。」


コラコラコラ!!二人とも!

蟹さんに謝れーー!!\\\٩(๑`^´๑)۶////


心でシャウトしました。

ていうか、一体誰に譲歩したん?!


「蟹もステーキも苦手だけどどちらかと言われれば…蟹かなぁ。」って事だったのなら申し訳無い。でも二人とも蟹もステーキも好きなの知ってるしね。結局コレも同じで主人にもお母さんにもそんなに深い意味は無いんでしょうね。私が気になるだけで彼等は気にならない。そして、ウチの場合もこの言い回し、元を辿れば親にあったという事?!


とにかく、こんな言い回しの感覚一つをとっても親の影響力は大だという事は怖い。主人なんて実家を出てもう数十年経つのにまだこんなに影が残っているのだから、もはや"三つ子の魂百まで"って事かしら?!

と言うことは、私の至らない言動は息子達にコピーされ、将来の息子達のお嫁さんにイライラされる事は決定なのか?いや、気になる言動というのは日々の積み重ねだから何も夫婦だけの話でも無いですよね。上司然り、部下然り、同僚然り、友人然り。更に気になるポイントは人それぞれ。

こんなのもぅ気をつけ様もないよ( ̄▽ ̄;)

私が人をイラッとさせてしまう言動を次の世代にコピーさせていたならば…息子達!ごめんよ(-_-;)

とりあえず「◯◯で良いよ」と言うのは避けよう。そして水をこぼした際には

「私が水をこぼしました!」( ̄^ ̄)ゞと言おう。